成田きのこ
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昭和27年(1952年)3月、三笠市によって設立され、平成2年(1990年)3月に休止した元保育所です。
設立時、保育所は幌内三丁目にあり、定員は60名・職員4名でスタートしたと伝わりますが、子供の預け入れ申し込みが多く、大抵の年は競合になったとのこと。
かなり倍率が高かった年もあって、希望しても、必ずしも幌内で託児出来るとは限らなかったみたいです。
昭和50年代までは、ほぼ毎年のように充足率100パーセントだったらしく、大人気でしたが建物が老朽化したため、昭和55年(1980年)12月にここに移転。
それでも相変わらず人気は高く、当時の幌内町ご出身の方は、たいていこちらの保育所で世話になった経験をお持ちであると伺いました。
しかし昭和が60年に入ると、石炭産業の行き詰まりがいよいよ顕著化。
北炭幌内炭鉱もまた、大規模なリストラを繰り返さざるを得なくなり、人口流出が加速。
昭和58年(1983年)までは、確かに、定員ぎりぎりの60名の利用者がいた、と記録にあります。
ところが昭和60年(1985年)には33名、同62年(1987年)には17名、平成元年(1989年)には8名と、2年ごとに利用児童者数が半減していき、平成に入って間もなく、とうとう北炭幌内炭鉱が閉山。
結果、幌内保育所は平成2年において、利用者数ゼロ化を達成してしまいました。
止む無く、平成2年から幌内保育所は休止。
といって町からは人が出ていく一方であるため、保育所に児童が戻ってくるはずもありません。
ただ、ちょうどその頃、知的障がい児の多くが中学校を卒業したあと自宅に引きこもっているのを見かねた親たちが、事業所作りを要望し、三笠市がこれに応え、『手をつなぐ育成会』が発足。
会が手ごろな事務所を探していたところ、白羽の矢が立ったのが幌内保育所でした。
かくして幌内保育所の建物は、平成4年(1992)から作業施設『ななかまど共同作業所』に転用され、破却を免れたそうです。
HPには、令和の現在も7名の方が利用しており、しめ飾り・木工作業・畑作・手芸などを行っていると掲載されていました。
いずれにせよ、放置・破却される建物が相次ぐ幌内地区において、昔ながらの保育所が残されているのは幸いでしょう。
2022年5月の訪問時、既に閉鎖されてから30年が経っていて、それでも『三笠市立幌内保育所』の看板は残されていました。
往時はザリガニがいたという裏の沢も、まだ残っている様子です。
ただし、園庭は畑と化し、園児たちが遊んでいた遊具類はすべて自然の中に還りつつあり、保育園だった頃の面影はだいぶ薄くなっていました。
特に名所という訳ではないとはいえ、その昔、炭鉱で栄えた街の置き土産のひとつとして、押さえておいても良い物件と思います。
なお、ご訪問の際は利用者の妨げにならないよう、ご注意ください。